ダニエル・ゴールマン『EQ―こころの知能指数』書評

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

EQについて言及する前に、まず心理学の最先端についてゴールマンが触れている箇所について述べたい。立花隆・利根川進の『精神と物質』を読んだ直後であるため、そこで利根川が言っていた自然科学の流れが心理学にも確かに存在していることを改めて確認した。すなわちそれは、自然科学が研究の対象とするものが物質→生命→精神(脳)と移り変わり、これまで未知のものとして分析対象から意図的にはずされてきた精神を物質レベルから説明しようとする試みである。ゴールマンは「精神活動における情動の地位が研究者のあいだで不当に軽視され、心理学の中で情動の領域だけが暗黒大陸のように未開のまま放置されてきた」といい、「いまようやく、科学は確かな裏づけをもって不可思議な精神の働きを解明し、人間のこころの見取り図を描きはじめている」(11〜12頁)と説く。怒り、嫉妬などを感じている時、脳の中で一体どのような現象が起きているのか、それを具体的な科学的データによって表すことができるようになっている。そしてその膨大な科学的データを基にして、現在頻繁に起こっている、情動の暴発(著者は情動のハイジャックと言っている)に基づく凶悪犯罪への一つの対処法として著者が提唱しているのがEQの教育である。

最近至るところでEQという言葉を使う人がいるので、初めにEQという概念を使った人がどういう意味で使っていたのかを知りたいと思い、本書を手にした。ゴールマンが最初にEQという言葉を使ったのかどうかはわからないが、この本でEQがどのようなものなのか、どういう意味で使われているのかはわかった。ここでEQはIQの対立概念として使われているのではなく、IQを補完するものとして定義されている。つまりIQが高くてもEQが高いとは限らないが、EQが高ければIQの上昇にも大きく寄与する。この考え方は、「理性と感情を対立する精神活動としてとらえる従来の考え方」(64頁)とは相容れないものである。これまでの考え方が「感情の影響力から解放された理性を理想とみなしてきたが、新しいパラダイムは情と知の調和を達成すること」(64頁)を目指している。

タイトルにある通り「こころの知能指数」と銘打たれたEQであるが、実際には測定不可能だと言う。EQを厳密な数値として表すことはかなり困難なことであるし、著者もそこまで厳密なEQ値を出そうとしてはいない。しかしゴールマンがEQの実験結果を見てIQテストの結果よりもより正確に将来を予測できたと言っていたいくつかの箇所には疑問を感じた。例えば悲観的な子供と楽観的な子供を比較して十年後にどのような人生を歩んでいるかを辿った実験が出てくる箇所があるが、EQが厳密な数値で表すことが困難なものである以上、悲観と楽観の程度も個人によって様々だろうと思う。かなり悲観的な人と少しだけ悲観的な人、かなり楽観的な人と少しだけ楽観的な人をどう区別するのか。人は多かれ少なかれどちらかに傾いているとあったが、そのような曖昧な定義が将来の結果と結び付けられるのでは、EQがIQよりもより正確に将来を予見したと言っても読者は納得しかねるだろう。子供の情動教育に取り入れるべき概念としてはかなり有効なように思えるが、それを厳密に定義して将来の予測に使うことにはまだ無理があるように感じた。今後のあるべきEQの利用方法としては、子供のみならず精神の病んでいる成人に対しても情動教育が有効に機能するように、実際の場でEQ上昇の訓練を繰り返し、それを方法論として確立することであろう。厳密さを欠く以上アカデミックな研究においてはまだ使える状況にないが、実践の場ではかなり有効に機能する可能性を持っているように思われる。