不破哲三『二十一世紀はどんな時代になるか』書評

sunchan20042004-12-12

この世界のどこかで次のマルクスが歩いている(34頁)

意味ありげなフレーズである。冷戦の終焉とそれに続くソ連邦の崩壊に伴って、社会主義共産主義の失敗と敗北を喧伝する論が巷に溢れたが、それは資本主義の未来に対する、迫り来る不安と表裏一体をなすものであった。資本主義では解決できそうもない問題が人類にとってますます重要性を増していることを考えれば、「次のマルクス」(=時代を画する思想家・理論家)の出現がより現実味を帯びた予言となってくる。

著者は、環境破壊と南北問題、そして繰り返し起こる不況・恐慌を、資本主義の限界を明白に証明する例として挙げる。アメリカ式資本主義が全世界に行き渡ったまさにその時、アメリカ人自身の口から冒頭の「次のマルクスの出現」の予感が語られるというのは、象徴的な出来事である。

社会主義の理念にとどめを刺したと考えられているソ連の崩壊について、著者は、もともと「ソ連型の体制は、政治の面でも経済の面でも、社会主義とは縁もゆかりもない社会だった」(42頁)との見方を示し、1991年におけるソ連の解体は歓迎すべきことだったとまで言う。これは何もソ連の失敗が明らかになってから後付けで言われたものではなく、戦後まもなく日本共産党に対するソ連や中国の干渉が始まった頃から一貫して続けられてきた告発であった。戦後半世紀の間、ソ連や中国の覇権主義および自民党体制と戦ってきた著者の主張には重みがある。

本書は中高生でも読めるような簡易な文体で書かれており(といいながらもし電車の中で中高生が本当にこの本を読んでいるのを見たらびびってしまうであろうが)、日本共産党のトップの哲学を大枠で理解するには適した本である。ただ、わかりやすく説明する一つの方法として、安易に小泉内閣批判を用いるのはよくない。戦後徐々に日本共産党に対する政党支持率は上がっていること、またアメリカとアメリカ以外の世論は大きく離れているという事実を挙げながら、小泉内閣がいまだ高支持率を維持していることに関しては「ごまかしの上に成り立ってきたもの」(20頁)と解釈するのは世論に対する見方が矛盾しており、卑怯ですらある。小泉内閣がひどい政治を行っていながら、いまだ支持率が高いままでいるのはなぜなのかということを説得力を持って説明できていないからである。