阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書、1995年)書評

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

この本を本棚から手に取って読んでみようと思い立ったのは、2002年2月3日付毎日新聞養老孟司氏のコラムを読んだためである。表題は「個押しつぶす世間の掟」。田中真紀子大橋巨泉両氏の辞任劇について、個対世間という構図で分析する。個人が世間の暗黙の掟に触れることは許されない。個人がその世間の掟を破った時、「追い落とされる、あるいは身を引く」。

養老氏によると、世間というものには「公の個」がない。一度属してしまうとそこから抜け出すことはできず、出口を探そうとすればそれは死を選ぶことを意味すると気づく。だから日本人の自殺率は高いのだと言う。これと同じことが江戸時代の切腹という行為にもあてはまる。「腹を切るなら、それまでのトラブルはとりあえずチャラにしよう。世間はそういう。そこで一件略着となる。だから会社の財政状況がどうにもならなくなると、経理担当が自殺する。世間の追求がゆるむことがわかっているからであろう。」外務省が「日本という大世間の一部をなす、特殊な小世間に過ぎない」ものである以上、そこには所属する者が守るべき暗黙の掟が存在する。その小世間の改革を目指して公の個を貫こうとした田中真紀子外相は、結果として世間から「その資質を問われた」。

世間という語を使う時、まずこの語の定義に注意を払わねばならない。阿部謹也が指摘する通り、それは「社会」とは全く異なる。もともと西欧から輸入された社会という概念は、一人一人の個人が独立した存在であり、その独立した個人が構成しているものであるという前提を持っている。それに対して世間は、「自分が加わっている比較的小さな人間関係の環」(20〜21頁)であり、「自分が見たことも聞いたこともない人々のことはまったく入っていない」(4頁)のである。例えば、日本では釈明会見などで「世間をお騒がせした」とよく言われる。決して「社会をお騒がせした」とは言わない。その意味するところは、「自分は無罪であるが、自分が疑われたというだけで、自分が一員である環としての自分の世間の人々に迷惑がかかることを恐れて、謝罪する」(21頁)ということである。

この定義からすると阿部の世間の定義は養老が使う世間とは少し異なるように感じる。「はたして日本には本来の意味での『社会』が存在しているのか」という、より根源的な問いを発する時、日本全体が一つの大きな世間であって、阿部の言う見ず知らずの人間は入らないという世間の定義は必ずしもあてはまらないようにも思う。

 本書はこの目に見えない権力としての世間を、歴史的に、とりわけ文学作品の中でどのように表現されてきたかについて論ずることを主な目的としている。結論から言うならば、文学作品の中での世間の使われ方やそれが使われた時代背景などについては詳しく論じられているものの、本書のタイトルである「『世間』とは何か」という問いに対して、より体系的な説明を加えるという目的は必ずしも達成されていないのではないかという感想を持った。「だから結論はどうなのだ」という印象を最後まで捨てることができなかった。世間というものに対してより体系的、理論的な説明を期待していた自分にとっては少し期待外れであったような気がする。ただ、個人が「世間との抜きさしならない関係の中でしか自己を表現しえなかった」(256頁)日本では、「長い間社会(この場合は日本にとっての社会、すなわち世間を指す―評者)を対象化して捉えようとする姿勢が生まれなかった。(中略)社会が対象化されていなかったから、社会の内的構造を醒めた目で分析する人もいなかった」(256頁)という指摘は、今後日本が世間と公の個との間の均衡を保とうと試みるならば、一つの進むべき方向を指し示すものとなるだろう。「その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできない」(258頁)のであれば、この試みは避けて通ることはできないのかも知れない。間違いなく本書から示唆を受けているであろう養老が、この指摘に呼応するかのようにコラムをこう締め括っている。「いまの日本の問題は、暗黙の掟、日本という世間をどうするかという問題である。それは一人の田中、一人の巨泉を追い出して解決する問題ではない。その解決は国民各個人のなかにある世間、その掟をまず明瞭に言葉にすることから始まる。『記憶にない』で済む話ではない。」

【追記】
世間についての体系的・理論的な説明は本書では得られなかったが、あとで以下のような世間についての著書があることを知った。内容が自分の期待に沿うかはわからないが、いずれ目を通したいと思う。

井上忠司『「世間体」の構造―社会心理史への試み』NHKブックス、1987年
佐藤直樹『「世間」の現象学』青弓社、2001年