ウィーゼル、川田順造編『介入?―人間の権利と国家の論理』書評

介入?―人間の権利と国家の論理

介入?―人間の権利と国家の論理

旧ユーゴでの惨劇があまりに衝撃的で、また空爆という派手な手段とマスコミによるセンセーショナルな報道のせいで、人道的介入といえばあのような行動を指すのだと考えてしまう人がいても無理はないかも知れない。しかしユーゴ空爆のような武力行使を伴う人道的介入(最上敏樹の言う「狭義の人道的介入」)というのは極めて稀な例であって、より一般的な人道的介入は日常的に、もっと地道な形で行なわれている。本書を読めば、人道的介入を武力介入と同義にみなすことがどれほど人道的介入の是非を問う議論を狭めてしまうかがわかるだろう。

学者の他、詩人、小説家、NGO代表、軍人などといった多様な面子が集い、広く介入について議論を展開する。芸術家が「人間の苦しみの緩和に果たす創造的な役割」(183頁)を担う存在であるならば、犠牲者の苦しみの緩和を本質的な目標とする人道的介入について、彼らがこのテーマについてそれぞれ一家言を持っていてもなんら不自然ではない。そこに並べられた言葉は、ひとつひとつが宝石の輝きをはなち、絶望に打ちひしがれた犠牲者たちに光を当てようと試みる。

しかし彼らの議論は理想で始まり理想で終わることを拒絶する。ナショナリズムこそが争いの元凶とみなし、国家への不信を隠そうとしなかった人道活動の黎明期に比べ、「責任権力の再構成の援助」(247頁)を唱え始めるようになった現在では、彼らはより現実的に加害者に権力に伴う義務を遂行するよう迫るのである。

介入とは、信じられないほどの忍耐を要求する活動であることが明らかとなった。介入は、事態が悪化して武力行使が不可避となってしまうはるか以前からすでに始まっている。また武力行使が終わったあともさらに続いていく。こうした長期に関与する意志が伴って初めて、介入は成功する可能性を持ち得るのである。