和田秀樹『学力崩壊』書評

実はこの著者には高校時代の思い出がある。同じ寮の友人からすごくいい受験参考書案内があると紹介してもらった本があった。その本の名は『志望大学学部別 試験に出る参考書』(光文社、1990年)。どこそこの大学を受けるにはこの科目が有利だとか、大学別に有効な参考書などを紹介しているもので、まだ受験勉強の初期段階にいた自分には大変面白い本だった。『例の方法』なる選択式問題用の参考書が話題になっていた頃の話だ。

そんなことはどうでもいいのだが、この著者が最近はどうも受験参考書についてのみならず、本書のようにより広範な社会問題にまで主張を展開するようになったのは驚きであった。内容もかなり論争的である。受験勉強や子供の学力についての一般通念を打ち砕いてやろうという野心がかなり露わな本である。ちなみに著者の本職は精神科医である。

話がいろんな方向に飛びがちであるように自分は感じたが、著者が言いたいことの核心は、「受験勉強は子供の精神に弊害を及ぼすという主張に根拠はない」ということである。受験勉強のストレスによる子供のメンタルヘルスへの悪影響がマスコミを始めいろんなところで論じられているが、著者によると、そのような主張には統計学的根拠がほとんどないという。


「高校時代に受験勉強ばかりした人は人間性で劣るとか、独創性に劣るとか、つまり受験勉強をするとあるマイナス効果が出るという話ばかりがまことしやかに語られるわけだが、こういうことはあくまで仮説であって、きちんとした調査や研究、モデル作りによって検証されたことは一度もない。」(43〜44頁)
このような論調は近年の「キレる子供」や犯罪の凶悪化と関連付けられて論じられることも多いが、この少年犯罪の傾向についても、一般通念は間違っていると言う。

「実際の統計では、青少年の殺人や暴行事件は増えてはいないし、犯罪の低年齢化は起っていない。また青少年の自殺も増えておらず、子どもがキレやすくなっているとか、メンタルヘルスが悪くなっていることを示す根拠は乏しい。」(129頁)

「「子どもが勉強ばかりさせられているので、少年犯罪が増える」という論調で語る識者は、二重の意味で現状を知らないことを露呈している。子どもはかつてほど勉強はしていないし、少年犯罪は減ってきているのである。」(153頁)

「少年犯罪は増えていない」と同様、「子どもはかつてほど勉強してはいない」という主張も一般通念とはかなり異なるはずだ。詰め込み型の受験教育の弊害を指摘する人はたくさんいても、昔の方がもっと詰め込まれていたと論じる人はそういないのではないか。著者はこうした結論を、昭和33年当時と現在の中学校3年生の教科書を比較することで導いている。そうした比較を見ると、確かに覚えさせられる量は格段に減っているのである。これは著者が極めて憂慮する、近年の学力低下という問題を抜きにして語ることはできない。受験勉強の弊害を容認する考えから「ゆとり教育」というスローガンが出てきたわけだが、実際にはその「ゆとり教育」がカリキュラムの大幅な縮小を余儀なくさせ、ますます学力を低下させる結果を招いているという。

「カリキュラムが増えすぎたから、子どもたちは勉強がわからなくなったのではない。むしろ、カリキュラムが減っているのに、あるいはカリキュラムが減りすぎて、学習内容の連続性が途切れたために、子どもたちは勉強がわからなくなったというのが真相だろう。」(66頁)
自分にはこの主張を証明する能力はない。ただ、単純な受験勉強悪玉論を排すためには、このような意外な視点を考慮に入れるバランスも必要だと思う。あまり詳細に書かなくとも実際に本書を読めばわかることだが、著者はさらに受験勉強のかなり大きなメリットを何度も論じている。子供の負担を軽減しようとか、もっと自由にのびのびやらせようといったような、アメリカの教育システムの影響を強く受けた考えでは、どうも問題は解決しないのでは、という考えが本書を読むと否応なしに浮かんでくる。実際にアメリカではこれまでの自由すぎる教育システムの失敗が明らかになりつつあり、日本とは反対にいわゆる大学に入るための受験勉強が見直されつつあるという。

50年代後半から60年代にかけて、アメリカで流行した精神分析学の理論がある。発展理論というものだ。


フロイトの娘で、児童心理学と精神分析学の大御所であったアンナ・フロイトは、思春期に少々非行に走るくらいの大混乱を経験しないと人間は精神的に十全な成長をしないし、その後の精神科的な予後もよくないと主張した。この理論にアメリカ中の有識者の多くが賛同し、アメリカのティーンエイジャーたちの自由化に大きな影響を及ぼした。校則や服装は自由となり、大学の入学も大幅に緩和された。しかしながら、この自由化が進んだ六〇年代後半からの二十年間で、少年犯罪の増加やドラッグの流行は目を覆わんばかりとなった。もちろん少年のあいだは少々非行をしても大目に見てやれという理論だから、これ自体は予想どおりの結果なのかもしれない。しかし、子どもの心に与える影響はけっして好ましいものではなかったようだ。その二十年間に十五歳から十九歳の自殺率が三倍にもなったのだ。」(151〜152頁)

「このアンナ・フロイトの主張はあくまで理論であって統計の裏づけがないと主張し、実際に統計的な手法でそれを批判した人もいた。前述のシカゴ大学精神科教授のダニエル・オファーである。オファーは、二万人にも及ぶアンケート調査を行い、思春期に大混乱が生じる子どもは全体の五分の一にすぎないことを突きとめ、さらにそんなふうになった人のほうが、むしろその後の社会適応も悪いし、何よりも精神科的な病気になりやすいことを証明した。」(152頁)

この「アメリカの失敗」をどう受け止めるのか。かなりの度合いまでアメリカ化されている日本の若者の現状を見て、韓国の精神分析学者は、日本に伝わったものは必ず韓国の若者にも伝わると憂慮して、日本の若者の精神分析を進めているという。「天才を生み出せるような教育システム」という美名の下に、視点を誤った教育改革が進められているとしたら一刻も早く軌道修正しなくてはならないだろう。ちなみに著者の意見では、日本の教育で問題なのは受験勉強ではなく、大学での研究・教育の環境と卒後教育の貧困さにあると言う。現実と照らし合わせるなら、かなり説得力のある議論である。