山本文緒『恋愛中毒』(角川文庫、2002年)書評

恋愛中毒 (角川文庫)

恋愛中毒 (角川文庫)

林真理子が言うように、ラスト怖かった…。水無月美雨が、井口に「今日、井口君の番号、その子に教えといたから」というセリフのシーンと、最後に創路功二郎が水無月を迎えに来るシーン。小説では書かれていないが、まさしく水無月が不気味に笑う姿がぴったりと来るシーンである。リチャード・ギア主演の『真実の行方(Primal Fear)』(米・1996年)で、最後にエドワード・ノートンが見せた不気味な笑顔を連想させる。

巻末解説で林真理子は、水無月美雨の「恋愛中毒」を「狂気」と表現した。しかし、本当にこれは狂気だろうか?自分にはこのような恋愛観は女性には多かれ少なかれ共通しているものだと思われてしまう。現にこの小説が多くの女性読者に支持されたと解説で述べられている。ただ表面に行動として現れるかどうかの違いだけで。確かに本書で描かれている水無月美雨には怖さもあるが、全体として見たら、世間ずれしてない冴えないおばさんにしか見えない。

江戸時代の吉原などで身を売っていた女郎たちが、恋に落ちると体が客を受け付けなくなってしまうという話を以前にどこかで聞いたことがある。また、「タレント・エッセイスト」で元・恋のから騒ぎレギュラーである島田律子によると、「女性は、若い男性だろうが中年のオッサンだろうが、同世代の男性だろうが、好きになったものは好き。つくづく本気の恋しかできない生き物なのですよ」(http://e-kekkon.jp/adv02/eroad_nozze/column/36.php?site_id=&af_flg=)なのだそうだ。もしそうなのだとすると、男女間に絶望的なほどの恋愛観のギャップが存在しているのはほぼ間違いないと思われてくる。冒頭の「うまく女と別れられない男は男として一人前ではない」(23頁)という文章が、男性の恋愛一般に対する象徴的な考え方だとするなら、「逆恨み」や「被害者意識」(262頁)が高じて女性をストーカーにまでさせてしまう失恋を、男はむしろ「男の甲斐性」として勲章にしてしまっているということだろう。あまり根拠もなしによく言われる「出産をする女性は現実的でサバサバしており、いつまでも未練たらたらなのは男のほう」という男女像は、残念ながらそう簡単に定式化できそうもない。

相思相愛でお互いを理解していると思い込んでいるのは自分たちだけであって、実際には多くの勘違いが恋愛の幻想によって覆い隠されているだけなのかも知れない。まあそれはそれで楽しいのかも知れないが。