森孝一『「ジョージ・ブッシュ」のアタマの中身』書評

アメリカ建国の理念が、極めて原理主義的なキリスト教によって裏打ちされたものであることが本書では明らかにされている。「反宗教的革命」であったフランス革命ロシア革命とは異なり、アメリカ革命は「親宗教的革命」であった。そして建国以来、「「神」との関係でアメリカのナショナル・アイデンティティを理解し表現することを、大半のアメリカ国民はアメリカにとって「ふさわしい」こととして選びとってきたのである。」(82頁)

本書における最大のキーワードは「見えざる国教」である。アメリカでは憲法において国教の樹立が禁止されている。しかし、これは日本で言う「政教分離」とは意味が異なる。

アメリカにおける政教分離は、日本やフランスのような政治と宗教との厳格な分離(Separation of Religion and Politics)ではなく、政府を含む公的機関と特定の宗教組織との分離(Separation of Church and State)である。問題は個人や宗教組織というような私的機関が政治に関わる場合ではなく、政府や公立学校というような公的機関が宗教に関与する場合である。(163頁)

アメリカでは、特定の宗教や宗派に政府を含む公的機関が肩入れするのは問題だが、アメリカ国民の「最大公約数的」宗教であるユダヤキリスト教の理念が公的な領域で尊重されることは何ら問題がないと考えられている。そう考えれば、大統領の口から「神の下にあるアメリカ」「ゴッド・ブレス・アメリカ」という言葉が出てくるのも不思議ではない。まさしく、「見えざる国教」である。

そしてこの「見えざる国教」は、建国以来、国家の統合という役割を担ってきた。

「見えざる国教」は差異を明確化するための宗教ではなく、できるだけ多くの国民を含み込み、統合するための宗教である。(164頁)

そのため、建国当時には「外国の宗教」として警戒されてきたユダヤ教カトリックは、長い年月を費やしてアメリカ化を遂げ、ついにアメリカの「最大公約数的」宗教を構成するまでになった。そしてそこから著者は、アメリカのイスラームが同じ道を辿らないとは限らない、いやむしろそうなるはずだと主張する。アメリカとイスラム教の今後の関わり方について極めて示唆に富む議論である。

本書のタイトルからすれば、ジョージ・W・ブッシュの「アタマの中身」が問われているのかと思いきや、彼に限らずアメリカ国民のほぼ全員に共通するキリスト教的理念が議論の対象にされており、アメリカの保守的世界観を理解するためには手頃な一般書であると思う。最近のアメリカにおける保守化の動きは、政権交代によって突然現れてきたのではなく、建国以来綿々とアメリカ人の価値観を支えてきた宗教的理念によって裏打ちされたものであることが、ここで明らかとなるだろう。