谷川稔『国民国家とナショナリズム』書評
- 作者: 谷川稔
- 出版社/メーカー: 山川出版社
- 発売日: 1999/10/01
- メディア: 単行本
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「想像の共同体」は国民国家の虚構性をあげつらうための言説というよりも、むしろ「想像上の存在」がなぜ歴史的実体をもちえたのか、なぜこれまで多くの人びとの愛着を確保してきたのか、を問うための言説なのである。(69〜70頁)
隣国どうしでありながら、その国民(国家)統合のプロセスが全く対照的なドイツとフランス。
それぞれがドイツ・モデル、フランス・モデルと呼び得る。
①ドイツ・モデル
・「血統と民族を基本にするエスニック的・系譜的ネイション」(A・スミス)(51頁)
・各地域の政治的・文化的分立状況は認めたうえで、経済的利害の共有と人種・言語ナショナリズムによって、どうにか大義名分を調達することができた。(49頁)
・言語や人種を指標とした国民形成が、しばしば排外主義的国民意識をもたらすことは否定できない。(略)ただし、そのためにかえって国民統合政策がゆるやかになっている部分もあるのである。(50頁)
・国民統合のドイツ・モデルでは入り口でセグレガシオン(選別)が厳しくおこなわれており、人種的・排外主義的国民形成に陥りやすいが、そのために内向きには強制的・集権的同化政策をとる必要はないということになる。(51頁)
②フランス・モデル
・「住民の主体的参加を基本とする市民的・領域的ネイション」(A・スミス)(51頁)
・私的空間での人種的・宗教的多様性を容認している分だけ、公共空間での一体性、文化の平準化をいっそう求める結果となる。(53頁)
ドイツとフランスはむしろ対照的な国民国家形成を遂げており、日本はこの意味ではフランスに近い。
ドイツの国民形成は領域の歴史的連続性を基礎にできなかったため、言語や人種というエスニックな要素に依拠せざるをえなかった(28頁)。
同一領域内の自己完結的な国民国家形成という点で、フランスともっとも近しい関係にあるのは、ドイツではなく、むしろ日本であろう。(29頁)
しかしながら、日本とフランスとでは、国民の産みの苦しみが根本的に異なる。
ドイツと同じく「上からの」改革を成功させた日本が、天皇制という疑似宗教を軸に国民統合をスムーズに成しとげたのにたいし、大革命以降のフランスは共和主義的公民を形成するのに苦しみつづけた。「自由・平等・友愛」という共和政原理が、アンシャン・レジーム下の国教カトリックにとってかわる、市民の疑似宗教となるのに一世紀以上の時間を要している。国民の文化統合の要となる初等教育に、カトリック教会が十九世紀末まで隠然たる勢力を保ちつづけたからである。つまり、「単一にして不可分のフランス」は、領域や法制的には該当しても、政治的・文化的には「二つのフランス」が厳然として存在した。(30頁)
EUに具現される超国家的な結合によって、国民国家の緩和とエスノ・ナショナリズムの暴発が起こるという強い懸念が存在するが、著者は対極的な可能性も提示する。
逆に、EUであれ、他の主権国家連合であれ、なんらかの超国家的な共同体が具体化するなかで、これまで行きどころをなくしていた伝統的地域文化が新たな帰属意識の受け皿を確保できる、という見方も成立する。そのことによって、旧来の国民国家とも新たなパートナー・シップをつくりあげていく、つまり調和的なアイデンティティ複合の新たな可能性を見出せるのではないかとも考えられるのである。(65頁)
良くも悪くも20世紀最大の活力源であったナショナリズムをうまく分散させるための壮大な実験が、国民国家生誕の地ヨーロッパで進んでいる。