フローラン・ダバディー『「タンポポの国」の中の私』書評

「タンポポの国」の中の私 ― 新・国際社会人をめざして

「タンポポの国」の中の私 ― 新・国際社会人をめざして

偶然インターネットで本書を知るきっかけを得たのだが、読んでびっくりした。サッカー日本代表チームのトルシエ元監督の通訳を務めていたのが本書の著者である。もちろんそんなことは読む前からわかっていたが、驚いたのはこの著者が極めて洗練された人物であり、日本と日本文化を日本人以上に愛しながらも、決して盲目的な愛情に陥ることなく、一貫して価値の多様性を標榜していることであった。

著者は日本人が無意識のうちにその閉鎖性を現わしてしまっている点を媚びることなく指摘する。

よくタクシーに乗ったり、街角で言葉を交わしたりすると、日本語がお上手ですねえ、とか、このくらいの日本語を話せたら完璧ですよ、と言われます。それは本当に感心して言ってくれていると思うし、その気持ちはありがたくないことはないのですが、実を言うと、このように言われることに、もっとも抵抗を感じます。というのも、そうしたセリフの中には、外国人がどんなにがんばっても完璧な日本語を話すのは無理だよという先入観がはたらいていて、例の「日本人は特別」という意識が見て取れるからです。(226頁)

また、母国語のフランス語の他に、英語、イタリア語、ポルトガル語、日本語、韓国語を使いこなす著者だからこそ書ける語学論が展開される。

ところで、外国で自分をアピールする、目立たせるためには、語学力は必須です。もちろん能力差はありますが、語学力は、いかに自分をオープンにして相手の国や社会に溶け込もうとしているか、その熱意をはかる尺度とも言えるものです。いくら、「私は日本が大好きです、日本文化を尊敬しています」と言われても、その人がまるで日本語を話せなかったら、誰も信用しないでしょう。(85頁)

外国語運用能力と異文化理解は相即不離のものだという著者の信念がここにはある。

無知こそが差別を生み出すと言い切って、その無知を解消する教育の価値を高く評価している点などは、自分に言わせればあまりに無邪気で楽観的すぎるように思われた(世界中には高い教育を受けた盲目的愛国主義者など珍しくもない)が、少なくとも著者のように多様な価値観を血肉としている人物に心から愛されている日本および日本人は幸せ者である。できることなら自分も外国人からこのような言葉を言われてみたいものである。