丸山眞男「三たび平和について」第一章・第二章書評

丸山眞男集〈第5巻〉一九五〇‐一九五三

丸山眞男集〈第5巻〉一九五〇‐一九五三

丸山眞男「三たび平和について」第一章・第二章(『丸山眞男集』第五巻所収)書評(『世界』1950年12月号初出)

福田歓一の著書の中で、1950年6月の朝鮮戦争勃発に触発されて書かれたものとして紹介されていたため、本稿に目を通した。(福田歓一『丸山眞男とその時代』岩波ブックレットNo.522、2000年、40頁。)この論文を書くために、丸山はQ・ライトやF・シューマンを読んで国際政治学を本格的に勉強したという。そしてこの論文を読んで、国際政治の核心をみごとに吸収してしまう丸山の知性に驚いた。もちろん専門の思想史で築き上げた方法論を国際政治学に応用してこのような分析が生まれ得たのであろうが、真の知性とは、このように確固たる方法論が他の領域にも広がりを見せるようなものを言うのだろうと痛感した。

国際政治への正確な理解を示している箇所については敢えて指摘するまでもないと思うので、自分が多少なりとも違和感を覚えた箇所のみ取り上げてみようと思う。

要するにこの論文で丸山が言いたかったことは、イデオロギーを対立軸として国家群の分類を単純化することの危険性である。その根拠として以下の五つが挙げられている。(16〜21頁)

(鄯)イデオロギーの対立は直ちに戦争を意味しない
(鄱)イデオロギー武装権力としての現実の国家との間には、ギャップがある
(鄴)自由民主主義と共産主義という図式以外に他の次元での対立が交錯している
(鄽)世界の有力国が必ずしも米ソの対立と同じ幅と深さで対立しているわけではない
(酈)米ソ両国とも極力全面的衝突を回避しようとしている

以上の理由から、「二つの世界」の対立を「絶対的な不可変的なものとする見解」は「現実的根拠に乏しい」(23頁)と指摘し、二極分化した冷戦構造の柔軟性を強調する。この柔軟性を前提とした上で、インドのような中立的な立場が世界の安定に寄与するといい、日本が取るべき途もそこにあると主張する。

当時はこのような主張に対して左右両派からの非難を受けたようだ。それに対して反発を示す丸山だが、イデオロギーに縛られた批判から解放されたにしても、丸山の論は単純すぎる嫌いがあるように思う。中立的な立場とは両側に米ソがいてこそ存在しうる立場であり、当時建前上は中立という立場を取っていたインドやインドネシアにせよ、両陣営からの政治的・経済的な支援を受けるための戦略という一面もあった。つまり中立とは言っても、ある時は米寄りの中立であり、またある時にはソ連寄りの中立であったというのが事実である。二極構造の柔軟性を前提にして国際政治の多極化が世界の安定につながるとの論(「およそ政治権力の動的過程において、多角的な力関係が二つの最大の力の周辺に向って吸収され、両極性が顕著になればなるほど、爆発的衝突の危機が亢進し、反対に力が多元的に分散されているほど、一般的均衡が成立する可能性の多いことは、国内の場合たると、国際関係の場合たるとを問わず、政治の一般法則である。」(24頁))は、一面において真実であるが、そこから必然的にイデオロギーに中立的な姿勢という答えが出てくるわけではない。事態はより複雑なもののはずだ。

単純すぎると言えば、丸山が、積極的な意味での米ソ両体制の接近を予見していることもその感を拭えない。

この矛盾(=政治的自由の拡充と、階級分裂の克服と完全雇傭の実現の両立の困難さ)が一方の体制への他方の体制の全面的吸収という形によらずに打開される途は、アメリカ民主主義が一層計画原理を導入して、大企業(big business)をコントロールし、失業の駆逐に向うと同時に、ソ連共産主義がその専制的閉鎖的性格を緩和し、市民的政治的自由を伸張する方向を辿ること以外にはない。(32〜33頁)

何という楽観的かつ単純な認識だろう。これが可能ならばそもそも冷戦など起こるはずはなかっただろう。対立関係を単純な図式に当てはめることの危険性を強く主張した丸山が、イデオロギー対立の結末をここまで単純化し楽観できたのはなぜなのだろうか。

しかし自分のこうした批判は、所詮は後知恵にすぎないのかも知れない。朝鮮戦争勃発直後の緊迫した国際情勢の下で、ここまで冷徹に対立関係を分析し得たことに自分は驚かざるを得ない。また冷戦初期の段階で、新たに生まれつつあった非同盟諸国への期待が強かったのも致し方なかったであろう。丸山が見せた知性の広がりが、日本において「第三の道」を模索する運動の端緒となったことは間違いないだろう。