百瀬宏『国際関係学』(東京大学出版会、1993年)書評

sunchan20042005-03-31

国際関係学

国際関係学

【研究ノート】


■国際関係学の定義

結論から先にいえば、政治学法律学、経済学、社会学、人文諸科学といった、従来の専門分化した各分野の場合と同じ意味での独自の方法とか、独自性といったものは、国際関係学には存在しないというべきであろう。これは、国際関係学が、専門分化を目指すのとは逆に、専門分化した既存の諸学の領域を相互対話を通じて広げる役割を担うものである以上、当然のことである。国際関係学は、諸専門科学が寄り合って複雑な現実を解明する“場”に他ならない。それは他のもろもろの広領域学と同じことである。(14頁)

国際関係学とは、専門分化した諸科学のたんなる算術的寄せ集めに過ぎないのか、それとも、こうした諸学の組織化によって、対象にたいする認識のあり方や、対象に立ち向かう諸学のあり方そのものに、何らかの新しい変化を生じさせることになるのだろうか(14頁)

国際関係学は、諸学の総合的性格をもつがゆえに、既成の諸学と同じ意味でのディシプリンや方法をもっているわけではない。しかし、それは、第3章で論じたように、諸学のたんなる算術的な総和でないことはもちろん、諸学の国際関係への応用以上の内容をもつと思われる(図10参照)。その意味で、国際関係学は、諸学の専門性を後退させて「一般教育」的に「横並べ」したものではなく、研究の先端の所では、総合と専門化を同時進行させているのであり、その好例は、たとえば「国際政治経済学」などの動向に窺うことができよう。(278〜279頁)


■「比較」と「関係」

たしかに、「比較」と「関係」とは相対立する概念ではなく、むしろ相補的な概念であり、さらにいえば、「比較」そのものが「関係」の中に含まれてしまうと考えることもできるのではないだろうか。AとBを比較するということは、そのこと自体、AをBとの関係において検討することである。そもそも事物の性格は、他の事物との比較や対照によって明らかにすることができるのであり、それは、事物を、他の事物と関係づけることに他ならない。ところで、比較によってAとBとの相違が明らかになったとする。そこで作業はとどまるのであろうか。およそ現代世界の事象を考察するのであるかぎり、次にくる作業は、Aが何故にAであり、Bが何故にBであるのかという追究であろう。その作業をつうじて、Aという存在は、まさにBの存在によって、あるいはBとの関わり合いにおいて、Aであるという事実が明らかになってくることが、しばしばであろう。(20〜21頁)

関係を追究していく姿勢を欠くと、比較は、気付かぬうちに先進国中心主義の独断や偏見にあぐらをかく結果に陥る危険を免れない、というべきであろう。(21頁)


江口朴郎帝国主義

江口は、これらの諸論文の中で、帝国主義という事象をテーマにして、各国がそれぞれに同じ発展段階を通って帝国主義に達し、それらが集まって帝国主義時代を招来したという見方を批判し、さまざまな発展段階にある国が、それぞれに異なった役割を果たすかたちで帝国主義世界というものが成立した、と説いた。なぜなら、経済発展段階上の後発国は、先発(先進)国と同じコースを辿って進むのではなく、先発国の存在そのものが、後発国の発展の仕方に影響を及ぼし、後発国は、先発国の下請けのような役割も果たしながら、無理な発展を強要されるからである。その結果、後発国は、経済発展の未成熟な点を古い勢力を動員した暴力で補ったり、さらに後発的なところを犠牲にして進むことになる。(30頁)


■国連の「五大国一致の原則」

国際連盟に代わって第二次世界大戦後につくられた国際連合においては、国際連盟の失敗の原因が、軍事力の強大な国家と弱小な国家を安全保障問題にかんして平等に扱ったことにあるという解釈に基づいて、「五大国一致の原則」を採用した。(81〜82頁)


■「共通の安全保障」(common security)とは?

これは、元来、国連の委嘱を受けたいわゆるパルメ委員会、すなわちスウェーデンの故パルメ首相を委員長とする委員会がその報告書の中で提出した概念であるが、異なった国が、簡単にいえば、利害や価値観の相違を超えて、お互いの安全保障を共通の課題として追求していくという考え方であり、根本的には、今日いう「共生」の発想に立っているといえる。パルメ委員会の報告書によれば、「共通の安全保障」の方法としては、軍備縮小のための交渉、相互信頼醸成、非核兵器地帯構想、民衆レベルでの国境を越えた交流などが考えられるという。その根底にあるのは、従来の国際政治や外交にはほとんどなかった発想であり、それは、安全保障とは皆にとって共通に必要なものであるという認識である。(82〜83頁)


■「民族」の条件とは?

民族という日本語にせよ、あるいはネーション、ナショナリティー、エスニシティーにせよ、多くの論者が定義にあたって一致しているのは、対象の、言語、人種、宗教、伝統、慣習、価値観、歴史的体験などの共有という客観的な側面と、そうした共通点に立脚した運命共同体に属しているという意識をもつという主体的な側面とをともに重視する点であろう。ここでただちに付け加えていえば、前者の客観的な側面はあくまでも一応のめやすであって、これらのいずれが欠けたからといって民族の成立の妨げになるというわけではないし、逆に、どれだけがそろえば民族が成立するというわけでもない。むしろ後者が生じればそれに応じて前者が決まるのであって、要するに思想あるいは政治の営みとして民族の存在が提起されることが、民族成立の決定的な要因であるといえよう。(86頁)


■ヨーロッパ東西で民族分布が異なる原因

高校の地理付図でもよい。ヨーロッパの民族分布のページを開けてみる人は、東西での状況の違いに一驚するであろう。西欧では民族が一定の広がりをもって分布しているのにたいして、東欧、とくにバルカン半島では、諸民族が複雑に入り組み、「水玉模様のように点在している」(K・ドイッチュ)ことに改めて気付かされるからである。なぜ、そのような相違が生じたのであろうか。東欧史の専門研究者の説によると、民族的諸集団の混在する様相はもともとヨーロッパの西部でも東部でもさして変わらなかったという。違ったのは中世以降であって、西欧では絶対君主が現れて広範な領土を同質化したのにたいして、東欧では、諸帝国が版図内に異質な諸集団を抱えたまま経過したからであった(L・S・スタヴリアノス)。(91〜92頁)

西欧で見られたような絶対君主制の下で国家の領土全域にわたって同質化された集団、すなわちそのままネーションの母体となるようなまとまった存在は、東欧にはなかった。存在したのは、帝国内のあちこちに、あるいは他の帝国の中に住む、自分たちと同じ言語を用いる集団であったに過ぎない。ドイツ人民俗学者ヘルダーの思想からも示唆を受けた東欧の知識人は、民衆の言語と文化こそが、人間解放のためのネーション形成の鍵だと考えた。こうして東欧各地には、言語を軸に、お互い離れてはいても同じネーションの成員だ、という自覚が成長していった。(93頁)


■文化の国民的・民族的基盤と文化間の関係

もとより、諸文化は、歴史の現実において、一定の国民的ないし民族的基盤の上に形成されてきた面をもっており、それらが簡単に入れ替わったり、あるいはたやすく「地球文化」といったものに統合されることは、困難であろう。しかし、諸文化がそれぞれに絶対的なものとして並列的に存在していくと考えることも、また現実離れした見方である。筆者は、文化を国や民族に即して学ぶ必要を否定しないが、同時に、それぞれの文化が、他者との関係において成立している面や、相互に影響を与えあう面に注目する必要が、すなわち、文化を国際関係の場において認識する必要がいよいよ強まってきていると思う。(182頁)


■「ポスト・モダン」とは何か

それは、一九七〇年代から八〇年代にかけ、建築学などの分野を皮切りに、社会や文化の諸分野に広がった概念であった。一般に解説されているところによれば、それは、何らかの新しい原理に基づく時代の到来というよりは、近代以来の人類の歩みにたいする見直しの時代を意味し、比喩的には、「大きな物語」から「小さな物語」への転換と形容することができるという。「大きな物語」とは、合理性、進歩、自由権、経済発展、巨大化など、近代ヨーロッパを発祥地として世界を支配するにいたった価値観である。しかし、こうした近代的価値観に基づく発展こそが、いまや人びとをして、逆説的に、それが育つ可能性を抑え込んできた感性の尊重、自然との共存、個性化、多様化などの「小さな物語」を志向させるにいたった、という。(183〜184頁)


■モーゲンソウによるパワー(power)の古典的な定義

何らかの価値剥奪を強制手段として、他者の意思ないし行為を支配(control)する能力(203頁)


■冷戦終結による局地紛争の頻発に対する見方

これを、たんに米ソ間ないし東西両陣営間の冷戦解消の反動であるという捉え方は、短絡に過ぎるものであろう。なぜなら、そうした把握は、冷戦期には両超大国を頂点とする東西大同盟が抑え込んでいた諸地域の紛争要因が、いまや管理者のないままに噴出するにいたった、という解釈に導き、そこから、冷戦期のそれに代わる管理が必要だ、という発想が安易に出てくるからである。(210〜211頁)


■「地域」とは何か

「地域」としてのまとまりを成立させている要因はさまざまであって、言語、宗教、人種などの要因が大きく働いている場合もあり、また、それらの点で互いに異質であっても、お互いの依存関係が一つの「地域」としてのまとまりを形作っている場合も考えられる。結局、「同質性」と「異質の共生」は、程度の差はあれ、また何らかの意味において同時に存在して「地域」を構成しているというべきであろう。(215頁)


【書評】
国際関係学の定義について考えさせられた。今回はこの国際(関係)学(論)の定義について少し書いてみたい。ここですぐに思いあたるのが、山影・山本・岩田・小寺編『国際関係研究入門』の序章で取り上げられていた「ディシプリン論争」である。すなわち、国際関係論とは単一のディシプリンなのか、それとも複数のディシプリンから構成されるのかをめぐる意見の対立のことである。この序章を書いた山影進は、国際関係論のディシプリンは1つであるという立場をとり、その1つのディシプリン(またはディシプリン複合)の中で、国際関係論の研究者は複数のレンズ、例えば国際法、国際経済、国際政治などといった各々のディシプリンから生まれるレンズを持っているのだと言う。

他方、本書の著者は「政治学法律学、経済学、社会学、人文諸科学といった、従来の専門分化した各分野の場合と同じ意味での独自の方法とか、独自性といったものは、国際関係学には存在しない」(14頁)といい、「国際関係学は、諸専門科学が寄り合って複雑な現実を解明する“場”に他ならない」(同)と述べる。これは山影の言う「国際関係論とは伝統的な専門領域を横断する広領域の総合的な学問である、既存の諸ディシプリンを抱える多専門的な学問である、複数のディシプリンを結び付けた学際的な学問である、あるいは従来のディシプリンの狭間を対象とする境界的な学問である、といった特徴づけ」(山影・山本・岩田・小寺、7〜8頁)にあたるものと思われる。

自分なりに整理してみると、本書の著者のように国際関係論を「広領域学」と位置付ける人にとっては、国際関係論とは諸科学の知恵を出し合って、複雑な国際関係の説明を試みる場である。しかし、山影のように国際関係論を一つのディシプリンと見る人にとっては、国際関係論の研究者は各々が複数のレンズを持っていなくてはならないことになる。この点が、法学、経済学、政治学などといった既存のディシプリンを持つ各研究者が協力のもとに国際関係を分析するのと、国際関係論という一つのディシプリンをもつ研究者が国際関係を分析することの違いなのである。

もちろんこの「複数のレンズを持つ」というのは、各々のディシプリン全てに通じていることを意味するのではない。一人の国際関係論研究者は、複数のレンズを持つとともに、そのレンズの全てを同時に使うことで、「異なるレンズを通して見た複数のイメージ(像)を自分の頭の中で再構成し、国際政治現象とも国際法現象とも異なる国際関係現象というものを描き出」せなくてはならないのである。(山影・山本・岩田・小寺、14頁)

著者と山影の間には、国際関係論(学)とは諸科学が寄り集まる「場」であるのか、それとも各々の研究者が会得すべき一つの「ディシプリン」であるのかという相違はあるが、諸科学が有機的なつながりを持って、既存の一つのディシプリンだけでは説明できない国際関係の現象を説明するという目的は共有していると思われる。国際関係論の醍醐味とは、まさしくこの「視野の広さ」にあり、分野横断的な分析が逆に既存の諸科学を触変させる可能性を秘めているのである。