岩田一政・小寺彰・山影進・山本吉宣編『国際関係研究入門』書評

国際関係研究入門

国際関係研究入門

※自分が読んだのは1996年に出版されたもので、現在は増補版が2003年に出ています(写真参照)。96年版のものでは巻末に付録としてついていたインターネットについての記述が、増補版では「補論 国際関係研究におけるインターネットの利用」として一つの章になっています。それ以外に大きな変化はないと思われます。


【重要な章のまとめ】


●序章 国際関係論―その一つのあり方

■国際関係論のディシプリン論争
国際関係論なるものが諸学を総合する単一のディシプリンなのか(そうなることを目指すのか)、国際関係論は複数のディシプリンから構成されるのか(そうならいったい、何と何から構成されるのか)をめぐる国際関係論観の違いから生じる論争(7頁)

→今日の大勢は国際関係論を1つのディシプリンとは捉えていない。

→そこでは、国際関係論とは、複雑で多様な国際関係現象を対象とするさまざまな学問の総体として理解されている。このことは、国際関係論とは伝統的な専門領域を横断する広領域の総合的な学問である、既存の諸ディシプリンを抱える多専門的な学問である、複数のディシプリンを結び付けた学際的な学問である、あるいは従来のディシプリンの狭間を対象とする境界的な学問である、といった特徴づけに典型的に現れている。(7〜8頁)

→しかし、研究する立場からは大学教師にとって(あるいは大学院学生にとっても)ディシプリン論争は、あまり深刻ではないはずである。なぜなら、研究成果をどの学術雑誌(多くの場合、学会機関誌)に発表したいかを意識すれば、その発表メディアが受け付ける研究対象・分析方法・論文形式・審査基準などをただちに考慮することになり、そのことは明らかに特定のディシプリンを念頭に置くことになるからである。(9頁)

→国際関係論という分野の教育・研究者を養成するディシプリンは当然1つであるはずであり、その中で、既存の専門学問分野に対応する諸ディシプリンとの関連性が整合的に秩序だって明確になっていなくてはならないと言えよう。(9頁)

■「研究対象としての国際関係」と「学問分野としての国際関係論」の関係(10頁)
現実の世界は流動しており、国際関係という範疇はアモルファスで、アメーバのように形を変えながらゆっくりと伸縮したり移動し続けるが、アメーバほどにも境界ははっきりしていない。他方、われわれは、ディシプリンにより形づくられた専門という形で、研究対象を詳細に調べるレンズを持っている。たとえば国際法というレンズを通して国際関係を眺めると現象の法的側面がはっきりと見えるし、国際経済学のレンズに換えると経済的側面が見えてくる。その結果、われわれの頭の中に国際法の理解あるいは国際経済の理解が生じる。(10〜11頁)

→しかしここで重要なのは、従来の国際関係論の捉え方は、互いに重複せず、整然と区別される学問分野(ディシプリン)と学問対象を想定していたということである。(11頁の図1参照)

→われわれの国際関係論の捉え方は違う。国際関係論は、従来の学問分野とは共約可能であるがそれを包含する分野をディシプリンとする。

→法学のディシプリンの中の国際法学や経済学のディシプリンの中の国際経済学ではなく、国際関係論というディシプリンの中の国際関係法、国際経済論というレンズ(各分野1枚とは限らない)を磨こうとしている。われわれとしては、個々のレンズは、伝統的なディシプリンの中で磨かれてきたレンズと少なくとも同程度の解像力を持ちつつ、さらに広い適用範囲を持つことを目指している。(13頁)

■国際政治、国際法、国際経済、……などの全てに通じていたとしても、それがただちに国際関係の理解を意味するとは限らない。
国際関係の理解とは、国際政治を理解し、国際法を理解し、……ということではないし、それらを並列させた総和でもない。それは、異なるレンズを通して見た複数のイメージ(像)を自分の頭の中で再構成し、国際政治現象とも国際法現象とも異なる国際関係現象というものを描き出すことである。(14頁)

学際的な国際関係論を学ぶということは、異なったディシプリンの中の国際社会に適用された専門分野の知識を寄せ集めることではない。国際関係論という1つのディシプリン(「ディシプリン複合」)の中で複数のレンズを獲得し、その使い方に習熟し(個別的ディシプリン)、統一された総合的な国際関係のイメージを自分の頭の中に描く訓練をすることである。(14頁)


●第1章 国際関係史

■ルイス・J・ハレーの冷戦観
冷戦の本質は善と悪の対決ではない。それは本質的にサソリと毒グモが壜(ビン)に閉じ込められたようなものである。我々は抜け出し難い苦境に陥った両当事者の立場に同情してしかるべきであろう。(30頁)

■ギャディスの「永い平和」論に対する批判
1992年、『国際政治』は第100号記念特別号として「冷戦とその後」を出したが、その巻頭論文である渡辺昭夫「冷戦とその後・序論」は、「永い平和」という命題に対する批判を紹介する中で、米ソ間の平和は国際システム全体の平和を意味しないとか、第三世界での紛争を度外視した冷戦の定義は不完全である、といった議論があることを紹介したうえで、こうした視角からみると、「永い平和」は一転して「永い戦争」としてわれわれの目に映ってくるであろう、と指摘している。そうすると、冷戦は「中心」における戦争の回避と「周辺」における戦争の多発との複合物として定義しなければならず、アジアで戦われた朝鮮戦争ヴェトナム戦争という2つの「熱い戦争」を無視しては冷戦期の十分な理解は不可能ということになる、というのである。(32〜33頁)

■リオタールによる内政不干渉原則批判
もはや、内政不干渉といった従来の国際法では全く裁くことのできない事態が起こっているということです。フランスの大統領が言っていることですが、内政不干渉の原則にかわる国際法を打ち立てなければならない事態がおきているわけです。まだ書かれていないその国際法は、原則的には、国民国家内部の少数民族の権利を尊重する方向に向かうことになるでしょう。(37頁)
(この発言はサダム・フセインの軍隊の攻撃を受けたイラク領内の少数民族クルド人の問題を念頭に置いて述べられている。)

→リオタールはそこから一歩進んで、国内管轄事項に関する不干渉原則自体を時代後れと断じ、それに代るものとして、「人間主義を原則とする国際法」を挙げている。

→しかし、いままさに国家統合の過程にある、すなわち国民国家の形成過程にある国々はこのような考え方に批判的である。

●第2章 国際政治論

■行動科学の導入による「第2の大論争」の勃発
1950年代から60年代にかけてのアメリカにおいては、社会科学一般に行動科学(behavioral sciences)が大幅に取り入れられ、国際政治学に対しても大きなインパクトを与えた。行動科学を全体として定義するのは容易ではないが、それは国際政治学に引き付けて言えば、およそ次のような特徴を持つ。一つは、実質面において、国内・国際的な制度や歴史(あるいは規範)というよりは、国家の行動や行為を説明しようとするものであるということ。二つには、そのために、単に記述とか、解釈、了解ではなく、明示的な(できれば数理的な)モデル(演繹的なモデル―とくに国家(人間)を合理的行為者としてみるモデル)を構築すること、あるいはまた概念(変数)間の反証可能な仮説を構築し、またそれをデータによって検証すること、であった(方法論)。ここに、制度や歴史を重視したり、あるいは記述、解釈、了解を旨とする伝統的アプローチと行動主義的アプローチをとる研究者の間に「大論争」が起きたのである(これを、現実主義と理想主義との間の「第1の大論争」に続く「第2の大論争」と言う)。

●第5章 国際文化論

■K・ドイッチュのナショナリズム
ドイッチュは、社会的コミュニケーションの理論を用いて、いくつかの国民形成のケースを、一種の歴史統計学的方法で分析し、国民形成の基軸が近代化と文化の共通性にあることを証明している。近代化(たとえば都市化)と文化の共通性(たとえば共通のことばの使用)の促進によって一定のコミュニケーション圏が形成され、これが国民(ネーション)の基体となるというのである。ドイッチュのこの研究は、科学的な手法によって国民形成のプロセスを解き明かして、それまでのナショナリズム研究を一新したばかりか、国際関係論に統合論という新分野をももたらした画期的な研究である。と同時に、同じ方法で分裂も分析できるようになっていたことを見逃してはならない。(139〜140頁)

エスニシティナショナリティの関連性
エスニシティは原初的(プライモーディアル)な絆であり、地縁と血縁と、ことばや宗教などの(ナショナリティの場合よりも強いと思われる)文化的絆に伴って、古くから繰り返し出現する多年性(ペレニアル)のものであるが、近代のナショナリティとどのような関連を持たせるかについて、いくつかの異なる見解が並立している。

→このあたりの事情については、要領のよい概説が古田元夫『ベトナム人共産主義者の民族政策史―革命の中のエスニシティ』(1991)の「はじめに」の2項にある。(141頁)

■文化摩擦の4つのタイプ
文化摩擦には、基本的に、文化の違いに基づく①集団間の摩擦、②個人間の摩擦、③集団内の摩擦、④個人内の摩擦、の4つがあることが指摘された。この共同研究がきっかけとなって、「文化摩擦」は国際政治ジャーナリズムなどでも用いられる概念になったが、①に偏ったその用法は、双方の文化が変化しないことを前提としている点で、問題である。摩擦は文化の変化や創造の源にもなりうるのであるから、③、④のタイプを考察することが国際文化論の真骨頂である。

■文化触変論(acculturation
「文化触変」とは、1930年代にアメリカで新造されたacculturationということばの訳語で、文化と文化が接触したときに、双方もしくはどちらかの文化に起る変化を指し示すものである。(147頁)

→文化触変が国際文化論の主要領域たるに足りる特色は、変化の主要要素が外来文化要素であることによって特有な現象が発生するところにある。そうした現象の最たるものが受容文化の側に起る文化変容に対する抵抗である。抵抗運動は伝統文化の再活性化の試み、土着主義、国粋主義の運動となって社会現象化する。(148頁)
(「文化変容」が1つの文化の内部で起る文化の変化であるのに対して、「文化触変」は外来の文化要素が受容されたときに起る文化の変容である。(147頁))

→部分的な抵抗さえもしばしばナショナリスティックな運動となることから、国際文化論における文化触変研究は国際関係論におけるナショナリズム研究に接続することにもなる。(148頁)

●第7章 比較政治論

■地域研究が陥りやすい罠と比較政治学による手助け
比較政治論は、個々の国の政治を扱う地域研究にも貢献する。これらの研究は逆に比較政治論に対して豊富な事実やデータを提供してくれるが、それゆえに陥りやすい罠もある。対象となる国や地域には他とまったく違う独自性があると主張したり、一つの国で得られた知見を絶対視することが、多くの場合はその罠に落ちることだと言える。これは研究上のナショナリズムとでも呼べる落とし穴だろう。比較政治学は、より視野の広い世界を提示することで、狭い世界に閉じ籠りやすい各国や地域の研究が罠から抜け出せるように手助けができる。

■「政治文化」の定義
Almond and Powell, Jr., Comparative Politics (1966)は政治文化という概念を、実際の政治行動の背後にある心理的な性質として定義した。さらに同書では、政治文化は政治態度attitude、政治信念belief、政治価値value、(たとえば、ある政治文化の下で有権者に有効に訴えかけることのできるやり方とか、政治的な取引のパターンなどの)政治技術skillの4つから成り立つと定式化されている。(198頁)


●第8章 日本外交論

■伝統概念の読み替えによる西欧国家体系の受容
西欧国家体系の受容は、伝統概念の読替えによって促進された。すなわち、列強の角逐という国際政治観は、文人官僚であった中国の士大夫と異なり、本来戦闘集団であった武士層にとって、戦国時代の群雄割拠の像に引照されることで、比較的容易に受容された。また万国公法の原理は、儒教の天理・天道概念を、実体的な中華秩序から切り離して超越化させることで、理解された。さらに、中華帝国の周辺圏に位置し、中国文明に抜きがたい劣等感を持っていた日本の知識層にとって、文明概念を儒教的文脈から西欧的文明開化の文脈に置き換え、同等の条件で文明化の程度を競うことは、これまでの中国に対する劣等感の補償をもたらすものであった、とすら考えられる。(206頁)

■権威的な多民族国家論と単一民族国家論
単一民族神話、すなわち日本は単一民族国家であるという言説は古くから支配的であった、とみなす通念とは異なり、小熊英二単一民族神話の起源―<日本人>の自画像の系譜』は、明治初期からの支配的な言説は、むしろ日本の多民族的起源を説くものであり、これらが養子制度など中国・朝鮮と異なる独特の家族制度を持つ日本の家族国家論と結び付くことで、権威的な多民族国家論を形成し、日本の植民地支配を正当化していくこと、これに対し、大正期から、津田左右吉和辻哲郎らによる単一民族的起源を説く言説が現れ、これが、第二次世界大戦後の象徴天皇制論と結び付いた単一民族国家論を準備していくこと、を刺激的に論じている。(211〜212頁)

改憲阻止勢力・平和主義論者にとっても、ナショナリズムは重要な政治的資源だった
講和以後約10年間の政治論を概観してみたとき、そのほとんどがナショナリズムに関わるものであったことは、改めて驚かざるを得ない。鳩山一郎石橋湛山ら反吉田勢力が、吉田の政治的施策と占領の負の遺産を意図的に重ね合せることで、改憲と自主防衛へナショナリズムの動員を図ったことは言うまでもないが、改憲阻止に向けて結集した諸勢力においても、ナショナリズムは重要な政治的資源であった。(213頁)

→より重要なことは、この時期の平和主義において依拠すべき原理としてナショナリズムが積極的に肯定されていたことであろう。たとえば、原水禁運動は、占領下では検閲のためタブーとされていた広島・長崎の被爆体験を掘り起し、これを国民的記憶として定着させることで、初めて広範な支持を獲得したが、こうした経緯は、運動の指導者にも認識されていた。普遍的平和主義はナショナリズムを媒介にして初めて力を持ちうる、という知識人の確信は、戦後の解放関心が主権概念の内側で語られるこの時期の知的動向に対応している。日本国憲法が何よりも国民的同一性の象徴として、語られた所以である。(同)

■再び主権的国民国家概念についての考察へ
もし今日、こうした国民国家の同一性を語ることが、さまざまな意味においてもはや自明でないとするならば、われわれは、外交の倫理的基礎づけを、どこに求めればよいのであろうか。あるいは、冷戦後の世界において、普遍的なものと個別的なものとは、どのように関わるべきなのであろうか。こうして、われわれの問いかけは、再び、西欧国家体系の根本原理である主権的国民国家概念についての考察へと還っていく。(221頁)


●第9章 国際方法論・近代合理性の限界
20世紀は、近代合理性の限界が次々に明らかになっていく時代であった。それが社会科学に大きなインパクトを与えたのは、東洋思想など別の知識体系の台頭ではなく、ヨーロッパにおける内在的批判だったことも一因だろう。すなわち、ソシュールフロイトウェーバーらによって、ことばとそれを操る人間(主体)と人間が織り成す社会についての19世紀までの前提が覆されたのである。(229頁)

数理モデルに対する無知と誤解
数理モデル=数学的表現は、われわれが伝統的に馴染んできた自然言語による表現との比較のうえで、さまざまな批判にさらされてきた。質的な分析ができない、複雑な現象を単純にしか表現できない、非人間的なので社会現象の分析には向かない、などなど。それらの多くは無知と誤解に基づいている。(241頁)

いずれにせよ、数学的手法自体に問題があるのではなく、その使用者に責任があるのは言うまでもない。(同)

■認識論の重要性
日常の研究活動(ノーマル・サイエンス)を見つめ直して、国民国家という単位を捨てて国際関係を理解しようとするにはどのような認識手法があるのか、などといった根源的疑問を立てるとき、ブレークスルー的な解答は、認識論の素養なしには満足なものにはならないだろう。(247頁)

→本章の「Ⅰ.方法論のことばとことばづかい」が認識論の素養と文献紹介にあたる。

【コメント】
本書のタイトルは、国際関係「論」(または「学」)入門ではなく、国際関係「研究」入門である。つまり、本書は国際関係論で研究者を目指す人のための「入門書」なのである。そのため、内容は「入門」という言葉にも関わらずかなり高度なものである。読んでいると、「これくらいの勉強量と読書量がないうちは研究者目指してます、なんて言っちゃいかんよ」とでも言いたげな雰囲気がずしずしと伝わってくる。

各々の章が各分野の第一人者によって書かれているため、自分の関心分野についての文献リストを作りたいならば、全ての章が役に立つと断言できる。しかしながら、自分にとって最も刺激的だったのは、共に山影進による「序章 国際関係論―その一つのあり方」と「第9章 国際方法論」であった。これほど知的な人間の文章にお目にかかったことなど果たしてあっただろうか。

国際関係論の「ディシプリン論争」は大変興味深かった。すなわち、それは、国際関係論とはそれ自体がすでに一つのディシプリンを有しているのか、それとも複数のディシプリンから構成されるものなのか、という問いである。とりわけ国際関係論については「学際的」という言葉が一般にその特徴を示すものとして使われているが、厳密にこの「学際的」とはどういうことなのだろうか。一般的には、単に「複数の専門を総和したもの」という意味で使われているはずである。(つまり法学のディシプリンを使った国際法学、経済学のディシプリンを使った国際経済学、……などを全て組み合わせたものが国際関係論だということ。)

しかし山影の国際関係論観は違う。

法学のディシプリンの中の国際法学や経済学のディシプリンの中の国際経済学ではなく、国際関係論というディシプリンの中の国際関係法、国際経済論というレンズ(各分野1枚とは限らない)を磨こうとしている。われわれとしては、個々のレンズは、伝統的なディシプリンの中で磨かれてきたレンズと少なくとも同程度の解像力を持ちつつ、さらに広い適用範囲を持つことを目指している。(13頁)

つまり、法学のディシプリンや経済学のディシプリンを会得していたとしても、それによって国際法、国際経済のイメージがつかめるわけではないのである。

さらに重要なことは、「国際関係の理解とは、国際政治を理解し、国際法を理解し、……ということではないし、それらを並列させた総和でもない」(14頁)ということ。言い換えれば、国際政治、国際経済、国際法、…などの全てに通じていたとしても、それがただちに国際関係論の理解を意味するとは限らないということになるだろう。

それは、異なるレンズを通して見た複数のイメージ(像)を自分の頭の中で再構成し、国際政治現象とも国際法現象とも異なる国際関係現象というものを描き出すことである。(同)

序論ですでに衝撃を受けた自分は、最終章の「国際方法論」でさらなる衝撃を受けることになる。少なくとも研究者を目指す人間であるならば、専攻分野に関係なく本章を読んでみるべきである。自分なりの方法論を確立するということがどれほど大変なことか、さらにこの方法論なくして研究を進めることなど到底不可能であることを痛感させられる。

20世紀に入ると、ソシュールフロイトウェーバーらが近代合理性の限界を露わにした。彼らによって、「ことばとそれを操る人間(主体)と人間が織り成す社会についての19世紀までの前提が覆されたのである。」(229頁)この認識論における革命的な発展をどう引き継ぐのかを、個々の研究者(の卵)は明らかにする必要がある。つまり、認識論・方法論における自分の立場をはっきりさせないことには、21世紀において西欧主権国家概念の修正をせまるような画期的な研究は決してできないということになるのである。山影進のこのメッセージを胸に強く刻み込んで、これからも地道に研究を続けることにする。

※方法論についての考察は、「「社会人大学院」本2冊書評―方法論とは何ぞや」を参照。