ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー』書評

多くの人がこの「ソフト・パワー」という概念に言及するので、その意味するところはなんとなくわかっていたが、この概念の生みの親が書いたこの本を読むのは初めてである。(同著者の『不滅の大国アメリカ』は大昔に大学院入試の対策のために読んだ思い出の書である。)

しかし、この『ソフト・パワー』という書、読んでみてつくづく疲労感を覚える内容であった。ハンティントンの『文明の衝突』を読んだ時に非常に似ている。大雑把すぎる定義と分類に従って項目をどんどん羅列していく。正直に言ってそのような形の議論にはあまり感心できない。

基本的に「他のアクターからいかにして魅力的な存在に見られるか」というだけのことであって、それ自体は誰も反論のしようのない理念である。その点では「人間の安全保障」という概念に似ているが、「人間の安全保障」は民軍連携協力に苦労している平和活動のアクターたちが共有できる概念として、連携協力の足場としての意義を有しているのに対し、この「ソフト・パワー」という概念はそのような性格を持ち合わせてはいない。

もちろん政策決定者がこの概念を意識しながら政策決定を行う場合、政策の内容が大きく変わってくるであろうし、そうなれば当然アカデミズムの議論にも大きく影響するであろうが、しかし「ソフト・パワー」という概念それ自体には理論的な革新さは何もないと思う。「間主観性」を一般の耳目に入りやすい言葉で言い換えただけではないだろうか。