没頭

孤独のチカラ (新潮文庫)

孤独のチカラ (新潮文庫)

「私が大学院へ行ったのは、日本の教育を変えようという大志があってのことだ。だが、私と他の人たちとの意識が違いすぎた。それがいちいち言動にも現れ、ついとげとげしくなってしまう。教授ともうまくいかない。何もかもやる気がせず、毎日ミュージカル映画を観に行っていた。なぜミュージカル映画かと言われても、いまとなってはよくわからない。たぶん気分だけは楽しくいたいと思ってのことだろう。修士論文も普通は二年で書かなくてはいけないところをほとんど書けない状態で、結局、論文をまったく書かない院生になってしまったのだ。」

「いけなかったのは、私が大学院という場所を根本的に間違えて捉えていたことだ。おそらく私に必要なのは仕事だったのだ。それなのに、仕事からもっとも遠い場所に身を置いてしまった。そのせいで私は始終苛ついていた。教室で学んでいても、自分が伸びていないのを感じ、さらに苛立った。」

「そこで、私はどうしたか。こもったのである。」

「私は、博士課程へ行っても、結局毎晩十一時まで大学にいた。正門はとっくに閉まっている。だから、塀を乗り越えて出ていく。なぜあんなに長時間ひとつところにいられたのかわからない。塀を乗り越えて帰る日々。その間、私はずっとその畳の部屋で勉強していた。そのままうたた寝したこともある。日々の基本はそこにあった。これ以上は人間として無理だと思うほどに、私は必死で勉強していた。」

「あれは、不法占拠に近かったかもしれない。あれほど長時間私がそこにいたのでは、たとえ院生であっても寄りつけないだろう。ほかの人がいられないような、よほど悪い空気を発していたのかとも思う。いまとなっては申し訳ない。」

「そんな私を理解してくれる人などいない。私は、話してもわかってもらえないなら、もう人と真面目に話をするのはやめようと真剣に考えた。他愛ない会話は別だが、大事なこと、自分の中のアイデアみたいなものに関しては、人に話さない方がエネルギーがたまると思ったのだ。話すとアイデアが盗まれるというようなセコイ考えではない。だが、当時は本気だ。人に話してしまうと、書く方に使うエネルギーが奪われるような気がした。いまではそういう考えはまるでない。ひたすらしゃべってしまうのは、その反動だろうか。」

「さて、思いをため込むことで本当に生産性が上がったかは微妙だが、博士課程に上がってから私は確かに論文を書きまくり始めた。論文はもちろんまるでお金にならない。だが、ほかにやることもないし、無謀にも私はこの時代に結婚している。男というものは独身の身ではほとんど不まじめだが、結婚すると急に何か運命を背負わされたような覚悟ができる。それを何で表現するかというと、論文しかなかったのだ。そこで私はいわば論文職人と化して、次々にまとめていった。これが孤独の第二期の思い出である。」

「第三期は大学院生の身分すら失い、無職で子供ありの時代だ。この数年間は悲し過ぎて語れない。そのころ私と飲んだ人たちには相当に悪い酒につき合わせたので、この場を借りてお詫びしておく。」

斎藤孝『孤独のチカラ』(新潮文庫)21-24頁。