思考停止する「浅はかな」日本

朝日新聞2014年2月15日のインタビューでの是枝裕和監督の言葉より。『誰も知らない』の時からのファンですが、本質が見えている数少ない方の一人だと思います。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S10979945.html?_requesturl=articles/DA3S10979945.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S10979945

「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『2人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと。外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がった国民的ヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています」

「例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければならないはずです。そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が払われているわけでしょ? それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決とは違います」

「政治家の『本音』がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいてもひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう。『表現の自由』はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに保障するものです。そのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです」

同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんなに楽なリアクションはありません。何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると思います」

「いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか。映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に批判しました。木下を尊敬するがゆえに、被害者意識を核にして作られた映画と、それに涙する『善良』な日本人を嫌悪したのです。戦争は島の外からやってくるのか? 違うだろうと。戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています」