「領土と歴史認識では相手の挑発的な「柔術」にはまってはならない」

〈文化〉を捉え直す――カルチュラル・セキュリティの発想 (岩波新書)

「領土問題に関しては、あくまで「法の支配」の原理原則に基づき、必要とあれば、公明正大に、国際的な枠組みのなかで争うことも厭わない姿勢を示すことが肝要だろう。歴史認識に関しては、同じ国内であっても一致することは難しい。外国との間であれば尚更だが、例えば、当事国のみならず、第三国の歴史家も交えてオープンに議論し、その成果を一切隠すことなく、インターネット等を通して、英語をはじめ多言語で国際社会へ公開するようにするのも一案と思われる。歴史に目を閉ざしているのがどの国か、あるいはどの組織か、明らかになるはずだ」(pp.104-105)

 

「その一方、相手の「柔術」には嵌らない自制心も必要だ。スポーツでは相手の選手を挑発し、ファウルや反則を誘おうとすることは常套手段だが、同じことはパブリック・ディプロマシーについても当てはまる。例えば、韓国系団体を中心とした欧米における従軍慰安婦記念碑の建立や日本海の呼称変更の動きに関しても、日本側が騒ぐほど、韓国側の結束は強まる。韓国側にしてみれば、日本側から過剰反応を引き出すことが出来れば、欧米の主要メディアを通して、それを世界に流布することができる。日本側として反論すべきことは反論するのは至極当然だが、あくまで事実関係をもとに、冷静沈着に行なうことが大切だ。一部の政治家や市民による威勢の良い「愛国的」な言動が――少なくとも中長期的なパブリック・ディプロマシーの見地からは――国益を損ねる可能性は否定できない。偏狭な国益理解に陥ることなく、かつ、自らを低い土俵に貶めることなく、モラル・ハイ・グラウンド(道義的な高潔さ)を保ちながら公明正大に対応すること。それこそが魅力や信頼性、正当性を高める対外発信である」(p.105)