性暴力

性暴力

読売新聞大阪本社社会部『性暴力』中央公論新社、2011年より

 

「あなたが、家族が、そして恋人が、性暴力にあったらどうしますか 心の痛み、苦しみを超えて語られる真実 坂田記念ジャーナリズム賞特別賞受賞の新聞連載を書籍化」(帯)

 

「二〇〇四年七月。深夜、車で帰宅途中、コンビニエンスストアの前に駐車すると、見知らぬ男が助手席に乗り込んできた。「殺すぞ」。人気のない場所まで運転させられ、殴られ、暴行された」(p.64)

 

「被害者が十三歳以上の場合、強姦罪の成立には「暴行・脅迫」の手段が使われたことが要件となる。一九四九年の最高裁判決は、その「暴行・脅迫」について、「相手の抵抗を著しく困難にする程度のもの」とした。この六〇年以上前の判例が今も生きている」(p.45)

 

「認定にあたっては、被害者の当時の行動が突き詰められ、抵抗したかどうかが吟味される。たとえ「恐怖のあまり動けなかった」という理由でも、被害者側に積極的な抵抗行為が認められず、暴行・脅迫の程度が軽いとみなされた場合には、強姦罪が成立しないことがある」(p.45)

 

「性暴力の被害者は、特に精神的な後遺症が重いと言われる。「自分にはどうすることもできない」という無力感、「自分の体は汚れてしまった」という自己嫌悪、そして、「自分が悪かったからこういうことになった」という自責の念――。悩み続けてうつ状態になったり、感情や感覚が麻痺したようになる「解離状態」に陥ったりするケースもある」(p.30)

 

「さらに、襲われた時の記憶や恐怖が鮮明によみがえり、パニック状態を引き起こす「フラッシュバック」に苦しむ人も多い。突然起きるため、仕事や家事、通学に支障が出る人もいる。加害者と同じ服の色、コロンの香り、車のエンジン音――。何でも引き金になりうる。久美子さんの場合、引き金になったのは、「目の前に突然現れる男性」だった。その途端、恐怖で足がすくんでしまう。条件反射で生じる反応を、自分ではどうすることもできない」(p.30)

 

「迷った末、身近な人に打ち明けた。「お前だけがつらいんじゃない」「誰にも言わないで」とさとす家族。友人たちは、「ごめん」「何も言えない」と困った顔をした。腫物に触るような態度が「黙っていろ」という圧力に思えた。周囲との衝突が絶えなくなった。気持ちが荒れた。最初は受け入れてくれていた恋人とも次第にうまくいかなくなり、「支え切れない」と去っていった。ただ、話を聞いて、「つらかったね」と言って抱きしめてほしかっただけなのに……」(pp.19-20)

 

「家族や友人、恋人など被害者のごく近しい人による二次被害もある。大切な人が被害を受けたことを知って動揺し、やり場のない怒りや無念が募って「親のいうことを聞かないからこういうことになるんだ」「なぜ大声を上げて逃げなかったのか」と不当に被害者を責めてしまったり、早く被害を忘れさせてやりたいという焦燥感から、「犬にかまれたと思って忘れなさい」「この程度ですんでよかった」と事態を矮小化したり。身近な人からのこうした言葉が、かえって被害者を深く傷つけてしまう」(p.36)

 

二次被害に苦しむ女性たちの支援活動を続けてきた栗原代表は言う。「確かに制度面は前進したかもしれない。でも、被害を訴え出た女性が『そんな服を着ているからだ』『なぜ逃げなかったのか』などと責められ、孤立する現状は、一〇年たっても変わっていません」」(p.38)

 

「もし、周囲の人が不幸にも被害に遭ってしまったら――。「特別なことをする必要はない」と横溝さんは言う。瀕死の重傷だった自分の心を生き返らせてくれたのは、そばにいる人のさりげない思いやりだった。「それぞれの立場で、できる人が、できることを、できる時にする。被害者支援とは、私が受けたたくさんの<友情>と同じ」。被害者を支える<手>は、多いほどいい」(p.53)