「哀しい王様の争い」

 

堀井憲一郎『若者殺しの時代』講談社現代新書、2006年より。

 

僕たちは、個人個人で社会にアクセスするシステムを選択してしまった。もう戻れない。映画でさえ、自分の部屋で勝手に見るようになってしまった。わかりやすい身近な集団に属することを避け、もっと自分の好きなエリアに属することにした。家族の人数が減り、近所つきあいが薄くなり、親戚の集まりが減り、そのぶん携帯電話とインターネットで自分が選んだ集団に軽く属するようになった。そして「日本人」という大きなカテゴリー区分に反応するようになった。ナショナリズムの復興は、帰属集団の希薄化にあとおしされている。(160-161頁)

 

僕たちは、便利さ地獄に陥っている。便利な新製品のあとに、もっと便利な新製品が出てくる。すべての商品とサービスが、消費者を圧倒的な王様のような気分にさせてくれる。すべての人が自分を王様だとおもいはじめ、世界は王で満ちあふれ、混乱している。しかも世界は、自分が期待しているほど自分中心に動いてくれるはずもなく、世界と自分との折り合いがつけにくくなってしまった。都市で、人と人の肩がぶつかる回数が増えているはずである。昔は分をわきまえてお互いに避けていたものが、いまはぶつかっていくようになったのだ。哀しい王様の争いが今日も都会で起こり続けている(176頁)