国境を越える人々が無意識のうちに「壁」を作っている

遅いインターネット (NewsPicks Book)

宇野常寛『遅いインターネット』幻冬舎、2020年より。

※下線・強調は引用者。 

 

 まず僕たちはあの3年前の、2016年11月8日のことを思い出すべきだ。あの日は世界を駆動していたひとつの理想が決定的に躓き、そして敗北した日だった。

 その日行われたアメリカ大統領選挙によって第45代大統領に選ばれたのは、大方の予想(あるいは希望的な観測)を覆してヒラリー・クリントンではなくドナルド・トランプだった。(p.34)

 

ふとFacebookを開くとそこには仕事仲間たちがトランプの当選を嘆く投稿が並んでいた。投稿しているのは概ね、六本木や渋谷の情報産業に関わる起業家や投資家やエンジニアたちで、彼らの投稿はどれもとても似通っていた。曰く、自分のシリコンバレーの、ニューヨークの友人たちがこの結果を嘆いている。しかし絶望する必要はない。僕たちは国民国家などという旧い枠組みに囚われないあたらしい世界を既に生きている。僕たちのようなグローバルな市場のプレイヤーにもはや国境など関係ない。アメリカがトランプの支配によって自由を失ってしまうのなら、ロンドンに、パリに、シンガポールに、そして東京に来ればいいだけの話じゃないか、と。(pp.36-37)

 

 僕は彼らの投稿を一読して、頭を抱えた。彼らの主張は概ね、正しい。しかし正しいからこそ、彼らは決定的なことを揃いも揃って見落としている。自分たちは既にあたらしい「境界のない世界」の住人であり、旧い「境界のある世界」のルールなどもはや関係ないのだと語る彼らのこの「語り口」こそが、トランプを生んだのだ。そのことに彼らはまるで気がついていない(p.37)

 

 そう、既にかつて存在した壁は取り払われてしまっている。だからこそ壁を再建せよと叫ぶ声が響くのだ。そして壁を作れと号令をかける人間ではなくむしろ壁などもはや自分たちには関係ないと豪語する人々があたらしい精神的な「壁」を無意識のうちに作り上げてしまっているのだ(p.38) 

 

 この世界に生きる大半の人々はこのあたらしい「境界のない世界」に投げ込まれてしまったことに気づいていない。より正確にはいつの間にかあたらしい世界の中に投げ込まれてしまったことに気づきはじめているために、脅え、戸惑っている。彼らの心はいまだに20世紀的な、旧い「境界のある世界」に取り残されている。彼らはまだまだ精神的にも、経済的にもローカルな国民国家という枠組みの保護を必要としているのだ(p.39)