教養のある人とは?

教養の書

戸田山和久『教養の書』筑摩書房、2020年より。

※強調は原文。 

教養にはどうやら「自分をより大きな価値の尺度に照らして相対化できること」が含まれるようだ。もう少し敷衍しよう。まず逆に、自分を相対化できない、というのはどういうことかを考えてみる。ようするにこれは、自分がすべての判断の基準になるということだ。何事も、自分が好きか嫌いか、自分が理解できるかできないかで決める。こういう人は「生理的にダメ」とかすぐ言う。めちゃくちゃ頭の悪い表現だ。自分の好みが果たして正当なものかどうか、より大きな尺度に沿って吟味することができないからそうなる。でもそういう人に限って、「私は自分の判断基準をしっかり持っている」と思い込んでいるから余計に始末が悪い。(pp.71-72)

 

 教養ある人は違う。自分が特別だとは思っていないし、自分を超えた人類の知的遺産によって自分の幸せと生存が可能になっているということを知っている。何より、この世には自分を超えた価値の尺度があるということがわかっている。だから、教養ある人は決してみんなも自分と同じものが好きなはずだと決めてかからない。かといって逆に「人好き好きだよね」といって判断停止することもない。自分の好みを自分を超えた価値に照らして評価し、好みじゃないものを選択することができる。(p.72)