「言葉とは交換価値ではなく絶対的な価値」(池田晶子)

41歳からの哲学

池田晶子『41歳からの哲学』新潮社、2004年より。

 ※強調は引用者

 言葉なんて、タダだし、誰でも使えるし、世の中は言葉だらけだし、なんでそんなものが価値なのだと、人は言うだろう。しかし、違う。言葉は交換価値なのではなくて、価値そのものなのだ。相対的な価値ではなくて、絶対的な価値なのだ。誰でも使えるタダのものだからこそ、言葉は人間の価値なのだ。安い言葉が安い人間を示すのは、誰もが直感している人の世の真実である。安い言葉は安い人間を示し、正しい言葉は正しい人間を示す。それなら、言葉とは、価値そのもの、その言葉を話すその人間の価値を、明々白々示すものではないか。(p.67)

 

 だから人は言葉を大事にするべきなのである。そのようにして生きるべきなのである。自分の語る一言一句が、自分という人間の価値、自分の価値を創出しているのだと、自覚しながら生きるべきなのだが、こんなこと、きょうびの人には通じない。言葉はタダだから使いたい放題とばかり、安い言葉、くだらない言葉の垂れ流しである。もともと実用の具であったはずの携帯電話も、料金が安くなれば、ありがたい。用もないのに電話をかけて、いよいよ安い言葉を垂れ流す。人はそれで得をしたと思うのらしいが、自ら安い人間になることが、どうして得をしたことになるのだろうか。くだらない人間になることが、どうして得なことなのだろうか。私には全く理解できない。(pp.67-68)