「知識人は「言葉」という矛と「ルール」という盾をもって馳せ参ぜよ」(西部邁)

 

死生論

西部邁『死生論』ハルキ文庫、1997年より。

※強調・下線は引用者

 伝統解体を率先したのは知識人であり、その知識人が「自然」と「情愛」に溶け込むようにして死にたいものだと宣うている。これはあまりにも虫のよい言説というほかない。知識人にたいしては、自分の壊したものは自分で建て直せ、と要求すべきであろう。死の恐怖に怯え、母親の胸にすがりつくようにして自然や情愛に逃げ込もうとするようでは、知識人としての資格が問われる。知識人は死との戦いに「言葉」という矛と「ルール」という盾をもって馳せ参じる責任があるというのもこの戦いをことのほか困難かつ陰惨なものにしたのは知識人なのだからである。知識人とて死の恐怖にとらわれるであろうが、そこで孤独を嘆く資格も孤独から逃避する権利も彼らには与えられていない。またそう自覚しておくことが、知識人によって創られた近代が知識人をも嚙み砕くまでに異常成長を遂げたこの世紀末にあって、知識人がおのれを鼓舞するための唯一の方策なのだとも思われる(pp.171-172)